2019.10.28 Mon

Written by EDGE編集部

インタビュー&コラム

久保田コラム「日本語のサッカー指導で世界をひっくり返す(2)」「ドリしろ!」で効果的なプレーはできるのか?

日本語の良さを最大限に活かして指導をすることで、日本サッカーのレベルアップを目論む久保田大介氏による新連載。大好評の2回目は、海に流された小学生が「背浮き」を知っていたことから、九死に一生を得た話から始まります。

先月、うちのクラブに所属する小学3年生の男の子が、海で遊んでいる時に離岸流に流され、一時行方不明になりました。

その場にいる大人達で必死に捜索し、彼のお母さんはもう、泣きながら探したそうです。

周囲が騒然としてる最中、沖から、サーフボードにちょこんと乗って、ニコニコしながら彼が帰ってきました。なんでも、たまたまそこにいたサーファーの人が助けてくれたらしいのです。

「離岸流」は流れが強く、大人でもあっという間に流されてしまいます。泳いでも泳いでも、どんどん沖に持っていかれるのです。

本人も「死ぬ」と思ったらしいのだけど、そんな中、彼はなぜ助かったのでしょうか。

理由は、サーファーの人に救ってもらうまで「背浮き」をしていたからです。

「背浮き」とは、力を抜いて仰向けで水面に浮くことで、水泳教室では初期段階で教えられる大切な姿勢です。

「背浮きをしていなかったら、間違いなく死んでいました」(彼のお母さん談)

彼は背浮きをどこかで習ったわけではないと言います。ではなぜ、彼が背浮きを知っていたかというと「前にテレビで観たのを覚えていたから」だそうです。

どこかの国の男性が海に流されたのだけれど、背浮きをしながら助けを待ち、12日後に救出されたそうです。(あくまでも本人談なので真偽は不明)

彼が死なずに生き延びて、サッカーを楽しめて、試合でゴールを量産できているのも、助けてくれたサーファーのおかげと、テレビで観た「背浮き」という言葉の《響き》を覚えていたからでしょう。

響き。

そう、いきなりですが、ジャンルを問わず、何かを人に伝える時には、この「言葉の響き」が、とても重要なのではないかと、僕は思うのです。そして、それがどのようなストーリーと文脈の中で語られているか、ということも。

小3の彼は、テレビで観た「背浮き」を覚えていて助かりました。でも、もしこの「背浮き」が日本でも横文字の別の言葉で通念化され、難しい言葉で紹介されていたとしたら・・・。

果たして、小3の彼の「脳内メモリー」に、その言葉は具体的な映像とともに残っていたでしょうか。例えば「Back float」という言葉を、離岸流に流されパニック状態になった時に思い出して「背中で浮けばいいんだ」とは、おそらく小3では結びつかないでしょう。

「背浮き=背中で浮く」

これなら、日本人なら誰でもわかる。誰でも、水面に背中で浮く映像を想像することができます。

サッカーの指導現場でも、背浮きのような「ひと言でその映像がイメージできる」わかりやすい言葉を、もっと使うべきなのではないでしょうか。

英語やスペイン語にかぶれて子ども達にそのまま伝えても、こっちは伝えたつもりでも子ども達にはまるで伝わっていない、というギャップが生まれます。

情景を思い浮かべやすい日本語の特性をとことん利用して、指導に活かす。

前置きが長くなりましたが、今回は、そんな話です。

 

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例えばドリブル。

「ドリしろ!」という声が試合会場でよく聞かれますが、ドリブルはあくまでも一つの用語であって、その種類は様々ですよね。

では「Dribble(ドリブル)」を、日本語に分解してみましょう。

抜く、運ぶ、逃げる、持ち出す、誘う、引きずる、ズラす、外す。まだあるかな…。

それがどんな場所でどんな局面か、ボールを保持しているのは誰で、その時に味方はどうなっていて、相手は誰で、どうなっているか。それだけでも、使うドリブルの種類は必ず変わってくるはず。全部「抜く」ことにチャレンジしていたら、サッカーは成り立たちません。

例えば、スペースがあるなら運ぶ。ただ、イキって「運べ!!」と言うのか、やんわりと「運んでごらーん」では、伝わり方も違ってきます。

さらに言い方を変換して「運びながら」と言うだけで、きっとパスコースを探すために遠くを観ながら運ぶはず。

相手からボールを奪った時とか、相手との混戦から抜け出したいのならば「持ち出す」「逃げる」のほうが適しているでしょう。少なくとも「ドリ!行け!」ではないですよね。

スペースをつくりたい、相手を引きつけたいのならば「誘う、引きずる」。
パスコースやシュートコースをつくりたいのならば「ズラす、外す」。

私が指導しているクラブでは「逆走」もよく使います。バックパスよりも、バックドリブルのほうが相手を引きつけやすいので。

どうでしょう。それぞれの言葉の響きだけで、子どもの頭の中でも、すぐにプレーを分けられるのではないでしょうか。それによって、目線や頭の中、緩急も変わってくると思います。

それなのに、ボールを持つことを全て「ドリ!」のひと言で済ますのならば、指導者として子どもに何も伝えていない、伝える術も言葉も持ち合わせていない、と言われても仕方ないでしょう。

 

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続いて「Pass(パス)」を日本語に分解します。

パスにも、ひと言では片づけられない様々な種類がありますね。

渡す、通す、さばく、預ける、下げる、つける、突き刺す、走らせる、飛ばす・・・。

どうでしょう。日本語って便利。これらの響きの違いだけで、子ども達はパスの強弱や緩急、蹴るタイミングを勝手に考えますよね。

「通せ」と「渡せ」では、そこに含まれる言外のニュアンスも変わってきます。「通せ」ならばスペースへのパスだし、「渡せ」ならば足下にパスを出すとお見ます。

預ける…ということは、想像力豊かな子ならば「もう一回もらう」ことまで、イメージできるはずです。一方でつける、突き刺すは、預けるとは真逆です。同じ「パス」なのに。

同じパスでも、これだけ違います。それを「早くパスを出せ」で済ませてしまうことが、どれだけアバウトであり、何も伝えていないかということがわかるはずです。

想像力豊かな方であればきっとわかってくれると思うのですが、パスの種類を日本語で細分化することで、出し手だけでなく受け手、つまり味方のプレーの幅を広げることにも繋がっていきます。

彼は今スペースに「通そう」とした、ならば君はどう動けばよかった?

彼が今「飛ばす」パスを使ったということは、そこにサポートにいく人と、3人目の動きとして走る人も必要だったんじゃないか? などなど。

例を挙げると、いくらでも出てきます。こういう考え方をしていくと、指導にも幅が出てくるのではないでしょうか。

今回はドリブルとパスを例に挙げて書きましたが、もちろん他の技術にも、これは当てはまると思います。

言葉の響きをどう映像化するかについては、11人いれば11人なりの解釈があるかもしれません。そこは日本語の曖昧なところであり、それぞれが情景を広げられるという意味で、いいところでもあります。

だからこそ、個々の自由や個性が生まれるわけです。

同じ「渡す」でも、あいつの渡し方とこいつの渡し方は少し違うよね、と。その違いを、チームメートはしっかりわかってる。それに基づいて、パスを受けるほうも出し手によって受け方を変えることもあるでしょう。

それが本当のチームワークであり、相手との早さの違いを生み出していくことにもなるのではないでしょうか。

個々によって解釈の違いはあっても、言葉のベースは共有しているから、そこからチームの哲学やスタイルも生み出せるはず。僕はそれが日本語の力で充分できると信じて、日々のトレーニングとチームビルディングに取り組んでいます。

 

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補足ですが、うちのクラブの園児には、まだ「ドリブル」「パス」という言葉は使わずに指導しています。

小さいうちから用語の固定観念で彼らの頭を固めたくないので、なるべく日本語だけで伝えるようにしてます。(ひょっとしたら無意識でドリとかパスとか言っているかもしれませんが…)

「ボールと一緒に進んでごらん」
「曲がろうとしないで、おヘソの向きを変えてごらん」
「遠回りしよう」
「後ろに進んだっていい」
「いいところに味方がいるなら、渡してみてもいいんじゃない」
「で、もう一回もらえれば最高やな」

これだけで団子サッカーはほぼ解消。お試しあれ、です。

ついでに、相手にボールがある時ならば「邪魔と通せんぼ」。このほうが、「寄せろ!」「アプローチ!」よりも子ども達にはスッと伝わるし、相手に向かっていく迫力が違ってきます。

漢字も含め、日本語にはかなりの「抽象性」が含まれます。

これは日本語が持つ特徴であり、サッカーにおいては大きな武器になると思うのです。

次回はこの「日本語の抽象性」を使った指導について。そして守備時においての日本語の有効な使い方についても書きたいと思います。

僕ら日本人が、いつか世界をひっくり返すために。

<プロフィール>

久保田大介

サッカーコーチ
ロボスフットボールクラブ・代表(
https://www.footballnavi.jp/lobos/

久保田コラム「日本語のサッカー指導で世界をひっくり返す(1)」和訳サッカー用語と本質のズレ

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