2018.06.22 Fri

Written by EDGE編集部

アジア

海を渡った指導者たち〜第13回・星出悠(グローバル・セブFC選手兼任コーチ)前編

筆者が星出悠という日本人選手を認識したのは、2012年に読んだ一冊の本「越境フットボーラー」だった。 “トリニダード・トバゴ四冠の男”として登場した星出(本人によると実際には四冠ではなく六冠)が、アメリカの下部リーグを経て、カリブ海の島国に渡って活躍しているという。英雄ドワイト・ヨークを輩出した小さな島でプレーする日本人選手がいることがあまりにも印象的で、本に登場する他の選手たちの記述をほとんど覚えていない。星出はその後、インドを経てフィリピンに活躍の場を移す。筆者が「越境フットボーラー」を香港で読んでいた時には、すでに名門グローバルFCに移籍していたのだ。【取材・文=池田宣雄(マニラ)】(写真提供:星出悠)

カリブ海はあまりにも遠いが、南シナ海なら目と鼻の先だ。いつか話を聞きに行こうと思っていたのだが、実際に会うまでに6年もの月日を費やしてしまった。

現役選手を続けながらも、チームの要請により指導者としてのキャリアを開始した星出が、約束の場所に姿を現した。フィリピンフットボールの聖地、リザールメモリアルスタジアムから程近いカフェで行なったインタビューを、前後2回に分けてお届けする。

 

◆トリニダード・トバゴ六冠の男の新天地はフィリピンの名門チーム

グローバル(現グローバル・セブFC)と契約したのは2011年の9月でした。ちょうどリーグ戦の日程が終了して、カップ戦が始まるタイミングでの加入でした。当時のフィリピンはUFL(ユナイテッドフットボールリーグ)が開催されていて、外国人選手の登録が無制限だったので、チームの選手は外国人の方が多かったです。

グローバルはプロチームですが、リーグにはセミプロやアマチュアのようなチームもありました。チームの練習も週に3回くらいしかやっていなかったのですが、それでもフィリピン国内では勝てていましたね。まだUFLが始まって間もない頃で、外国人選手と外国でプレーしていたフィリピンハーフの選手が、各々の個の力でゲームを組み立てていたような状況でした。

僕はJFLのチームで社員選手としてプレーした後に、アメリカの下部リーグとトリニダード・トバゴのチームを渡り歩きました。その後、カップ戦だけの短い契約でしたがインドでプレーしてから、フィリピンにやってきました。今年で7年目になりますが、この7年でフィリピンのサッカーを取り巻く環境は、だいぶ良くなりましたけどね。

 

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当時は、チーム練習の量も質も物足りなくて、コンディションの維持に不安を抱えていました。個人が身体を動かせる場所や施設もなかったんです。そんな時にMAJ(マニラオールジャパンFC)という日本人駐在員の方々のサッカーチームと出会いました。2012年だったと思います。

グローバルの試合や練習がない時に、MAJの練習に参加させてもらって、そのかわりにコーチをするという形でした。当時、MAJには監督さんがいたのですが、僕の経験をリスペクトしてくれたので、練習メニューからやらせてもらうことになりました。また、グローバルのボスも、僕のMAJへの関与に理解を示してくれました。草の根レベルの底上げ、ということで。

 

◆フィリピン国内のタイトル獲得でアジアの大舞台へ

グローバルでは2015年までプレーしました。毎年良い選手を補強していたこともあって、常に国内タイトルを争うレベルで戦っていました。優勝するか、準優勝に終わるか、という感じで。主将を務めていたシーズンもありました。

グローバルはフィリピン王者として、AFCプレジデントカップや、その上のカテゴリーのAFCカップといったアジアの大会にも出場を果たしました。また、シンガポールカップにも招待チームとして参加していましたね。年齢的には30代後半に差し掛かっていましたが、特に大きな怪我に悩まされることもなく、結果を残し続けてきたので、ピッチの上ではチームに貢献できたと思っています。

特に、2015年は印象に残るシーズンでした。残念ながらリーグ優勝はできなかったんですけど、僕と、鈴木規郎、柳川雅樹、大友慧、嶺岸光、佐藤大介という、日本人と日系フィリピンハーフの選手で、ピッチの左半分を制圧していました。

僕個人としても、結果的にひとりの選手として、ピッチでのプレーに専念できた最後のシーズンになってしまったので。まさか、翌年にグローバルを離れることになって、選手兼任監督を担うことになるなんて、夢にも思ってなかったですから。

 

◆名門チームの中心選手に舞い込んだ指導者転身の要請

グローバルでのプレーと並行して、MAJの活動にも関与していました。この間にUFLのリーグ規定にいくつかの変更があって、プロの1部もアマの2部にも外国人選手枠ができていました。そうなると、日本人駐在員が主体だったMAJは、UFL2部への参戦を継続することが出来ません。

チームで話し合いが行われて、エンジョイを目的とする駐在員の方々は、MAJのチーム名のままWFL(ウィークエンドフットボールリーグ)という別のリーグに移ることとなり、新たにJPヴォルテスFCを発足させて、外国人枠の日本人プロ選手と、若手の日系フィリピンハーフやローカル選手を集めて、UFLの2部に継続参戦していたんです。

 

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参戦を継続する目的にも変更があって、本格的にUFL1部に昇格することを目標に掲げました。ヴォルテスは2015年シーズンをリーグ2位で終えて、その後の昇降格プレーオフを見事に制して、翌シーズンの1部昇格を決めていたんですよ。

それで、僕に選手兼任の形での監督就任の正式要請があったんです。チームの内情を把握していることと、指導者ライセンスを持っていたからだと思います。当時のUFLはB級ライセンスがあれば監督ができました。僕はYKK APでプレーしていた時に、JFAのB級を取得していたんです。

正直、グローバルを退団することも、選手兼任とはいえ監督になることも、まったく想定していなかったので、誰かフィリピン人でも良いから監督を雇ってほしい、という意見をしました。もちろん、これまでの経緯があるから、その監督へのサポートは惜しみませんよ、という感じで話し合いを重ねましたね。

(後編につづく)

 

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【指導者プロフィール】

星出悠(ほしで・ゆう)。1977年生まれ。東京都出身。明治大学卒業後、YKK APで社員選手としてプレー。JFL昇格などに貢献する。チームがカターレ富山として発足するタイミングで退職し渡米する。アメリカの下部リーグでプレーの後、トリニダード・トバゴに活躍の場を移し、強豪ジョーパブリックFCに入団。日本人初となるCONCACAFチャンピオンズリーグに出場する。その後、インドのスポルティング・ゴアを経て、フィリピンの名門グローバルFCに移籍。フィリピン国内で数々のタイトル獲得に貢献し、アジアの大会にチームを導く。2016年にJPヴォルテスFCで選手兼任監督を務め、本格的な指導者の道へ。2017年から選手兼任コーチとして古巣のグローバル・セブFCに復帰。現在に至る。JFA公認B級コーチ。マニラ在住。

 

【執筆者プロフィール】

池田宣雄(いけだ・のぶお)。神奈川県出身のフットボールライター。大学で中国語を専攻してしまったがゆえに、社会人生活の大半を中華圏で暮らす羽目に。会社員を10年、会社経営を16年。現在は日本とフィリピンを行き来しながらのノマドワーカー。相棒はMacBookとFIAT500。

 

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