2017.10.25 Wed

Written by EDGE編集部

インタビュー&コラム

「モヤモヤした気持ちを抱えてプレーしている子をサポートしたい」元FC東京DF中村亮が語る、アメリカ留学の可能性

中村1

好評連載、アマチュアフットボーラーたちの挑戦。特別編の今回は、かつてFC東京でプレーし、引退後は教員や歌手を経て、留学会社WithYou(ウィズユー)の代表を務める中村亮さんの登場です。大学時代はユニバーシアード代表に選ばれるなど、将来を嘱望された中村さんはケガの影響もあり、2年でプロ生活を終えます。その後、どのような活動を経て、現在の事業を興すに至ったのでしょうか。旧知の仲である、アマチュアフットボーラーの中村篤次郎さんが迫ります。

中村(篤): 私が亮さんと最初に会ったのは、現在、大宮アルディージャの塩田(仁史)くんを介してでしたよね。塩田くんから「元FC東京の選手なんです」という形で紹介されました。亮さんはいま、日本とアメリカで留学事業をされていますが、そこに至るまでの話と、現状を聞かせて頂きたいと思っています。

中村(亮):よろしくお願いします。最初に出会ったのは4年前ですね。

中村(篤): そうでしたね。あらためて、最初に亮さんの自己紹介というか、どのようなキャリアを歩んで来たのか。読者の皆さんに説明をお願いします。

中村(亮):はい。僕は兵庫県出身で、滝川第二高校でサッカーをしていました。5歳下に岡崎慎司がいます。その後、鹿屋体育大学に進み、ユニバーシアード代表に選ばれました。大学卒業時にいくつかのJクラブから声をかけて頂き、FC東京にお世話になりました。

中村(篤):凄いキャリアですよね。選手として、どのようなタイプだったかを教えてください。自分の口からは言いにくいかもしれませんが(笑)

中村(亮):ポジションは左サイドバックでした。ユニバーシアード代表に選ばれたり、プロに声をかけて頂いたのも、左利きで背が高くて(185cm)、足が速かったからだと思います。

 

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中村亮(なかむら・りょう)

 

中村(篤):たしかに、左利きの左サイドバックはどのクラブも欲しがりますよね。プロ入り後、目標にしていた選手はいましたか?

中村(亮):FC東京時代に同じポジションだった金沢浄さんです。浄さんは体はそれほど大きくない(注:173cm)のですが、僕とはレベルが違いました。相手のプレーの2歩、3歩先を考えていて、そういう選手だからこそプロで生き残れるんだと学びました。

中村(篤):亮さんはFC東京に加入後、ケガがあって活躍できなかったんですよね?

中村(亮):まったく結果を残せなかったですね。2年間、公式戦に出場できませんでしたから。ケガが大きな理由のひとつですが、いま振り返るとそれでも復活している石川ナオ(直宏)さんのような人もいますし。試合に出られなかった言い訳かもしれません。2年間というあっけないプロ生活でしたね。

中村(篤)::ケガは試合の中で痛めたものだったんですか?

中村(亮):高校時代から右膝を痛めていて、靱帯が伸びている状態でした。古傷を抱えていたのですが、高校や大学時代は1年間のスケジュールが練習と試合で埋まっているので、手術をする時間がないんです。いま振り返ると、サッカーのやり過ぎで異常な環境でしたよね。それはアメリカに渡ってわかったことです。毎日何時間も練習をしていて、年間の休みもほとんどない。アメリカ人のコーチは「なんで日本人はそんなにたくさん練習をするんだ?」「サッカーを楽しんでいるか?」って言いますね。

中村(篤):最近は日本サッカー界にも科学的な部分が入ってきて、当時に比べると変わってきてはいるようですが、まだまだ練習をやりすぎる傾向にありますよね。

中村(亮):そう思います。高校、大学時代は練習時間が長いので、常に100%のプレーをするというよりも、80%。90%の力でプレーすることがありました。でもプロに入ると、コーチが笛を吹いたら常に100%のプレーが求められます。その繰り返しで、膝が悲鳴をあげていきました。

 

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中村篤次郎(なかむら・あつお)

 

中村(篤):FC東京にいた頃の思い出にはどんなものがありますか?

中村(亮):J1の強豪チームに入って、サッカーのレベルを体感できたことはサッカー選手冥利につきると思います。もう一つはサポーターがすごく良くしてくれたことですね。試合に出られない時も励まして頂いたり、温かい言葉をかけてくれた事はいまでもありがたく思っています。

中村(篤):確かに、東京のサポーターは若手選手に対する愛情が深いと思います。その選手の将来を見て接してくれますよね。亮さんは2年間FC東京に所属して、いわゆる契約更新をしない「0円提示」を受けたわけですが、その時の事は覚えていますか?

中村(亮):はい。当時のGMだった鈴木徳彦(現・ファジアーノ岡山GM)さんと話をしまして、引退後の進路の相談にも乗って頂きました。僕は教職を持っていたので、引退した後はそっちの道に進むんだと思っていたんですね。親も教師でしたし。

中村(篤):実は自分がFC東京に入るきっかけも、鈴木徳彦さんに声をかけてもらったことからなんですよ。

中村(亮):そうだったんですね。僕はFC東京を辞めた後、燃え尽き症候群になってしまって、やりたいことが見つかりませんでした。アスリートでサッカーばかりやってきた人間が、目標や日々すべきことを失ったときに燃え尽きてしまう。その典型的な形でした。

中村(篤):なるほど。次の道に進むまでは、どのぐらい期間が空いたのですか?

中村(亮):3、4ヶ月だったと思います。高校と大学の先輩に重野弘三郎さんという、いまはJリーグで働いている方から電話を頂いて「今後の人生どうするんだ」と聞かれて「教員のスポット採用があるから、1年だけ体育教師をしないか」と声をかけて頂きました。そこで「ぜひやらせてください」と言って、横浜の篠原中学校で学校の先生をしました。

中村(篤):先生をやってみて、正直なところいかがでしたか?

中村(亮):面白かったのは間違いないです。子どもたちも可愛いですし。教えるのも面白かった。ただ、何かもう一度光りたいというか、人生の山が欲しいなと思ってしまったんですよね。校長先生からは「もう1年どうだ」と言われたのですが、1年という任期を終えたところで辞めることにしました。もう一つちゃんと何かを成し遂げたかったんですよね。

中村(篤):そうなんですね。ところで経歴を聞いて驚いたのですが、そこから歌手として活動をされるんですよね。サッカー選手、教師と来て、歌手と異色の経歴ですが、どういうきっかけで音楽の道に?

中村(亮):もともと、母が音楽関係というのもあって、この顔で高校3年までピアノをやっていたんですよ(笑)。ヤマハ音楽教室に通っていました。小中学生の時は、試合と発表会が同じ日にあったとしたら、1回戦は試合に出て、2回戦、3回戦は出ずにピアノの発表会に行って、戻ってきて準決勝から試合に出たこともありました(笑)。いま思えば親には感謝ですが、当時はなぜ自分はこんなに忙しくて、遊ぶ時間がないんだと思っていたんですよ。

中村(篤):そういうのもあって、歌手になりたかったんですね。

中村(亮):歌うことが好きだったのと、僕の歌を聴いた知り合いが「やったほうがいいよ」と言ってくれたこともあり、調子に乗ってやってみようと思い、ボイストレーニングを始めました。それで、先生を辞めた後に事務所に所属しました。サッカーで燃え残り、くすぶったものがあったので、もう一度燃やしたかったんです。自分は熱中型というか、ひとつの目標に向かって進んでいく性分なんですよね。ライブハウスで歌ったり、CDデビュー直前まで行ったのですが、所属していた事務所が解散になってしまい、デビューはできませんでした。

 

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中村(篤):音楽の道でも、完全燃焼することはできなかったわけですね。その後、アメリカに留学をするそうですが、きっかけは何だったんですか?

中村(亮):サッカー選手を辞めてから、常にもやもやして、これでいいのかという不安な気持ちの自分がいました。「元Jリーガー」と言われても、劣等感しかないんです。試合に出て、活躍したわけでもないですから。「自分は元Jリーガーです」と胸を張って言えるのかというと、そうではありませんでした。音楽の仕事にしても中途半端になっていたので、思いきって環境を変えたいと。居心地の良い環境、日本を離れたいと思いました。

中村(篤):なぜアメリカを選んだのですか?

中村(亮):音楽活動と並行してモデルの仕事をしていた時に、周りにハーフの子が多くて、英語が飛び交っていたんですね。みんなが盛り上がっている中、自分だけ周りが何を言っているかがわかりませんでした。自分は中学時代にブラジルに留学していたこともあって、海外には興味があったんですよね。英語を話せるようになりたい、留学してみようと思ったのがきっかけです。28歳の時でした。

中村(篤):環境を変えて、ゼロからスタートしたかったんですね。アメリカでは、どのような学校に留学したのですか?

中村(亮): UCLAというロサンゼルスにある大学の付属語学学校に入りました。日本の学校は「先生の話を聞いていれば大丈夫」という形ですが、アメリカの学校は「自分で考える、主張する」ことに重きを置いています。外国人の同級生はみんなアグレッシブで、わからなければすぐに質問をします。でも自分も含めて日本人は一番消極的でした。それは、今まで学んできたスタイルの違いだと思いますが、かなり衝撃を受けましたね。

中村(篤):語学学校にはどのぐらいいたのですか?

中村(亮):半年強です。そこから短大に移りました。というのも、語学学校の環境が、すごく居心地が良くなってしまったことに気がついたんです。周りにいるメンバーは固定されてきて、正しい英語を話せなくても会話が成立してしまう。このままじゃダメだと思い、カウンセラーの人に話をすると「ネイティブの人と時間を共有することが、語学上達の一番の道だと思う。4年制大学は授業料が高いので、まずは短大に入ってみてはどうか」と薦められたのがきっかけです。

中村(篤):自らの気づきから進路変更を考えたわけですね。経営コンサルタントの大前研一さんは「人間が変わるには3つの要素を変えるしかない。住む場所を変える、会う人を変える、時間配分を変える。この3つが変わらなければ人間は変えられない」と言っていますが、それに当てはまりますね。短大では何を勉強したのですか?

中村(亮):経営学です。体育学部に行くのが一番楽だったのですが、居心地が悪い方に行った方が成長するだろうと思い、 興味があった経営学を学びました。大学の授業は実践的なものが多くて、自分もなにかビジネスを始めたいと思ったんですよね。

 

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中村(篤):その頃から、留学事業に興味を持ち始めたのですか?

中村(亮):はい。このまま日本に帰ってイチから始めるのではなく、自分が経験していて、強みとなる部分は何かと考えたときに、自分は留学生としてアメリカに来ているので、自分のような留学生のお世話ならできると思いました。そこで、現地でお世話をしてくれた、いまの会社の共同代表の日本人に相談をしたのが、現在展開する事業につながっています。

中村(篤):短大生活がすごく刺激になったんですね。亮さんの会社ができて、送り込んだ留学生は何人ぐらいですか?

中村(亮):のべ300人ほどです。その中でサッカーに関連するのは、40人ぐらいですね。自分の日々の業務はアメリカの各大学・プロ・セミプロチームを回って、留学先を開拓することです。サッカー選手の留学先であれば、日本人のスキルや経験値の高さ、集団の一員としてプレーできる協調性など事例を挙げながら、各チームに説明して売り込んでいきます。

中村(篤):亮さんの会社の留学の特徴は、最初に2年制の短大に入って、その後に4年制大学に編入することだと思います。その手法がなぜ良いのでしょうか?

中村(亮):まず、サッカーではない一般留学のゴールを「アメリカの4年制大学卒業」と考えた場合、費用面で削減できます。自分も経験したのでわかるのですが、短大は授業料が安いんです。短大で得た単位を4年制大学に移行させて、3年生から編入することができるので、金銭的なコストが少なくて済みます。それに、アメリカの4年制大学に入学するためには、いわゆる日本の大学入試のようなものはないのですが、英語のスコアが必要なんですね。それが結構難しくて、予備校に半年から1年通わないととれません。なので、4年制大学に最初から入学したい人は、高校を卒業してから1年間、予備校や語学学校に通って、英語スコアがとれるまで勉強します。サッカー留学の場合は、コンディションをキープする意味でもまず2年制大学(短大)に入って、サッカーをしながら英語の実力をつけていくのが適していると思います。

中村(篤):なるほど。それは良い方法ですね。いまは日本に一時帰国していますが、日本ではどのような活動をしているのですか?

中村(亮):留学する人を募集するために高校や大学を回り、説明会などをさせてもらっています。その中で、日本の高校3年生の視野が、あまりにも狭いと感じることが多々あります。進路を最初から国内に限定しているんですよね。サッカーの強豪校になるとなおさらです。先輩が行ったルートを行かなければいけないという、変なしきたりがあるんです。僕がいまの高校生に伝えたいのは、サッカー人生が終わった後のことも少しは考えた方が良いということです。

中村(篤):プロになれるのは、ほんの一握りの選手ですからね。もしプロになれたとしても、亮さんのように20代半ばで、次の道を探さざるをえなくなる人もいます。

中村(亮):そうなんです。僕はサッカー選手としてプロになることができました。それ自体は幸せな経験でしたが、引退後に苦労もしました。なぜかというと、サッカーを辞めるまで、サッカーのことしか考えていなかったからです。サッカー以外にしたいことがないからといって、毎日サッカーだけをしていても何もわかりません。サッカー以外に興味を持てるものを探すために、少しずつ生活を変えていくことが大事で、そのためには高校卒業後、海外に留学するなどして、環境を変えるのもひとつの方法ですよという言い方をしています。

中村(篤):選択肢を広げたほうがいいですよね。それによって、見えてくるものもありますから。

中村(亮):僕が高校生、大学生でスポットライトを当てたいのは、僕のようにモヤモヤした気持ちを抱えながらサッカーをしている子たちです。実力がないわけではなくて、別の学校に行けば主力で活躍できたような子、強豪校に行ったおかげで自分より少しうまい子がいて、試合に出られない。そのような子がなぜ打ちひしがれ、自信をなくさなければいけないのか。その子たちのサッカー人生を、良い形で終わらせてあげたいという気持ちがあります。

中村(篤):環境が変われば、活躍できることもありますよね。

中村(亮):そうなんです。プロになるのは難しいかもしれないですが、第二の人生を歩み始めるにあたって、第一の人生の終わり方が大事だと、僕は身をもって経験しています。自分でやりきったと思えるか、区切りをつけられるかどうかは、次のステップに進むにあたって、すごく大切なことだと思います。

中村(篤):勝ち負けではなく、やりきったかどうか。折り合いがつけられれば、次の道にスパッと進むことができますよね。自分がもしそのような状況に置かれていて、亮さんのような人に出会っていたら、海外に行っていたかもしれません。

中村(亮):進路の選び方にしても、チームのライバル選手がAランクの大学に行ったので、自分はBランクの大学にしか行けないという選び方は良くありません。そこで日本という枠を外れて、自分の実力を試してみたら? という提案をしています。自分の好きなサッカー、得意な分野を持って海外に行くと、それを通じてネイティブの友達もすぐにできます。それがスポーツ留学の良いところだと思います。費用にしても、日本の大学に行くのとそれほど変わりませんし、サッカーで一部でも奨学金を獲得できれば、親に負担がかかりすぎることもありません。

中村(篤):奨学金を得られれば、親孝行にもなりますよね。

中村(亮):そうなんです。ヨーロッパや南米などに、サッカーでプロになることだけを目指して留学をするのも良いとは思いますが、プロになれる可能性はものすごく低いですよね。言語も生活環境も異なる国に行って、母国よりレベルの高いリーグでプロ契約を目指すのは本当に過酷です。アメリカの大学でサッカーをするためには、大学でしっかりと勉強もしなければいけません。学校の単位を取れないと、試合に出られないというルールがありますから。大好きなサッカーをするために勉強もしっかりやる。そうすることで新たな学びや出会いがあり、人間としての幅やチャンスにも恵まれていく。プロになれなかったらリターンは何もなかったではなくて、アメリカであれば大学の英語補修コースからスタートできます。語学も学べますし、頑張りぬいて卒業すれば大卒の資格も得られます。

中村(篤):潰しが効くんですね。サッカーでプロになれなくても、アメリカの大学を卒業したという事実と経験が残るわけじゃないですか。それは日本で社会に出るときに、すごく役に立ちますよね。英語はこれからの時代、できなければいけないものになるでしょうし。

 

中村1

 

中村(亮):留学することで、自分にすごく自信がつきます。アメリカに行くと、思い通りにならないことが多すぎて、めちゃくちゃ苦労するんです。実際に僕もそうでした。そこをクリアして卒業までたどり着いたんだという自信は、日本の大学を卒業した子と同じスタートラインに立ったとき、社会人になったときの自信が全然違います。日本の大学を卒業した子とアメリカの大学を卒業した子を比べたら、後者の方が大人びていますし、自立しています。生き抜く力がつくんですよね。

中村(篤):なるほど。

中村(亮):誤解してほしくないのは、日本の大学がダメだと言っている訳ではないんです。私自身、日本の大学を卒業していますし。ただ、これから社会に出る、最終準備段階の“大学”というカテゴリーにおいて、居心地が良い環境に身を置く事がすべて良いとは限らない。それは自分の経験から実感しています。自分のように、大学でサッカーを中心に過ごしてきた人たちには、学ぶことのできる環境にいることを有効に活用して、サッカーを引退した後の人生に活かしてほしいと思っています。その重要性に気づかせてあげるのも、我々大人の役目なのではないかと思うんです。その意味でも、アメリカの大学では『好きなスポーツを部活として継続するために、アカデミックの成績を一定以上に保つ必要がある』というルールが設定されています。そこは、すごく良くできていると思います。

中村(篤):亮さんの留学事業では、アメリカのクラブのトライアウトを受けるコースも扱っていますよね。日本の大学に通っている子が、アメリカでトライアウトを受けるメリットには、どのようなことがあるのでしょうか?

中村(亮):大学でサッカーに打ち込んでいる子は、プロにならない限りは社会に出て就職しますよね。大学の4年間が、競技サッカー人生の終わりと考えたときに、しっかりと区切りをつけることで、第二の人生に向き合うことができる。自分の経験からも、僕はそう考えています。大学4年生の終わりに、多くの人が卒業旅行に行くと思いますが、どうせ行くのであればアメリカに旅行に行きながら、プロになるためのトライアウトを受けてみてはどうかという提案をしています。就職が決まっている子もいると思いますが、それはトライアウトに受かってから考えればいいし、チャレンジすることに意味があると思います。

中村(篤):トライアウトのレベルはどのぐらいなのですか?

中村(亮):MLS(メジャーリーグサッカー)の1部はレベルが高く、とてつもなく難しいです。でも2部であれば、日本で全国レベルの選手であれば可能性はあります。トライアウトに受かれば勲章になりますし、もう一度、サッカーでプロになることにチャレンジしたいと思えば、アメリカで挑戦してもいいわけです。学生からの卒業とサッカーの卒業という、二つの意味を込めた卒業旅行にするのも良いのではないかと思います。もちろん、観光の時間もたくさんありますし、僕らがアテンドをするので、旅行としても質が高いですよ。

中村(篤):ここまでの話を聞いて、僭越ながら4年前にお会いした時と雰囲気が違っているなと感じます。顔つきも、言葉の選び方も、経営者のそれですよね。話は尽きませんが、今後の活躍を楽しみにしています

中村(亮):ありがとうございます。頑張ります。

<プロフィール>
中村亮(なかむら・りょう)
1981年生まれ。滝川第二→鹿屋体育大学→FC東京。高校時代には全国高校選手権でベスト4に進出。大学時代はユニバーシアード代表に選ばれ、大邸大会で優勝を果たす。引退後は教員、歌手を経て、株式会社WithYouを立ち上げ、留学事業を行っている。公式サイト:http://www.withyou-usa.com/

中村篤次郎(なかむら・あつお)
1970年生まれ。メットライフ生命保険㈱・シニアエキスパートコンサルタント。不動産営業を経て、ツエーゲン金沢の立ち上げに携わり、初代GMに就任。その後、FC東京の営業部を経て現職に。会社員のかたわら、毎週末サッカーをプレーするアマチュアフットボーラー。ポジションは主にサイドバックを担当。この連載のホストを務める。

 

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