2017.05.18 Thu

Written by EDGE編集部

アジア

海を渡った指導者たち〜第10回・藤本雄基(広州富力ユースアカデミーコーチ)前編

広州東駅から地下鉄を乗り継いで、天河客運駅に向かう。待ち合わせ場所として指定された駅出口の階段を登ると、そこは長距離バスや路線バスが道を行き交う、巨大なバスターミナルに隣接する古びた街だった。大きな荷物を携えて、あちこちのベンチや歩道に腰掛ける人々の姿。近隣の車両整備工場や旅客相手の商店の人々の姿。そして、黒い煤を吐き散らしながら走り出す中国製の大型バス。この街はどこか懐かしい匂いがする。(文・写真 池田宣雄)

予定より早く着いたことを微信(WeChat)で伝えると、その人は10分としないうちに駆けつけてくれた。名前は藤本雄基(以下、藤本)。筆者と近しい間柄の方々には馴染みのある名前だと思う。

小さなバス停で路線バスに乗り込み、藤本が指導を行う会場に向かう。樹木の茂る小高い丘の上にある長●(さんずいに並)小学校は、大都市の喧騒とは少し違う空気が流れている。

「この小学校は、富力と最近になって提携した学校のひとつですが、サッカーの指定重点校ではないんです。でもこのように、新しい人工芝に張り替えたり、用具一式を新調したり、やる気満々なんです」

体育倉庫から練習用具を運び出した藤本は、緑が鮮やかなピッチの上にカラーマーカーを並べ始める。校庭の端の方では、高学年の生徒たちが組体操の練習をしている。体育の授業中のようだ。

「今日は低学年が終わった後に、中学年の練習があります。サッカーっぽくなるのは後の方なんで、それまでどこかで休んでいてください。高学年の生徒たちの下校時間になると、ちょっと騒がしいことが起こりますので注意してくださいね」

藤本の言葉どおり、低学年の練習では数枚の写真撮影だけにして、中学年の練習時間を待つ。手持ち無沙汰から、ピッチの外に蹴り出されたままのボールを集めていると、授業を終えた生徒たちがぞろぞろと校舎から溢れてきた。

 

10.fuji

 

中学年の練習が始まっても、他の生徒たちは何の遠慮もなく校庭のいたるところで遊び続ける。なわとび女子も(富力アカデミーではない)サッカー男子も、先生に大声で注意されるまで、おかまいなしでピッチを馳け周る。

「これでもだいぶ良くなったんです。先生方が協力してくれなければ、成立していないと思います。僕やアシスタントが、他の生徒たちの排除に時間を奪われているようでは、練習になりませんからね。計画どおりに進めるために、練習以外の問題はすべて学校側にお願いしています」

中学年の練習を終えて校門を出る藤本は、指導していた子供たちに囲まれながら、下校時間の状況を苦笑いを浮かべながら説明する。そして地下鉄の駅に向かう道中から、広州富力ユースアカデミーでの指導について話し始めた。

「去年の3月に、日本でお世話になっていた指導者の方に、現役引退の報告をしたところ、程なくしてお電話を頂き『中国でコーチを探している』というお話があると聞きました。当時はC級ライセンスを受講していた頃で、お世話になる場所も未定でしたので、ぜひお話をお聞きしたいとお願いしました」

その時の話はたち消えてしまったようだが、藤本はC級ライセンス取得後に東京都内で指導を始める。スポーツ系の求人サイトで応募して、陸上競技クラブのサッカー部門の正社員として採用されたのだ。

「高校を卒業して以来、プロチームやアマチュアチームで不安定な契約選手生活を送っていたので、正社員として採用してくれた会社で安定するのも良いかなと思っていました。指導者として経験を積む必要もありましたし、家族にも少しは安心してもらいたかったので」

 

9.fuji

 

藤本は指導者の道を歩み始めた。チームとしては大会に臨まないスクールの指導者として、生徒の募集から練習プログラムの作成、合宿の手配など、半年ほどの期間ではあったが、まともな休暇も取らずに働き通した。そんな藤本のもとにひとつの情報が飛び込んでくる。

「広州富力のセカンド(実際にはユース)が、香港プレミアリーグに越境参戦するという情報でした。僕は2014年に香港リーグの元朗FCでプレーしていて、3月にご挨拶させて頂いた喜熨斗さん(勝史氏=広州富力トップチームコーチ)に状況をお伺いしたんです。そのチームとユースアカデミーとは別の動きだと説明を受けましたが、お話の流れの中で『まだ中国に来たい気持ちはあるのか』と言って頂けたんです」

藤本に迷いはなかった。その後、9月末には一時帰国中の喜熨斗氏と渋谷のスタバで面談。中国行きの熱意を伝え、程なくして正式な条件提示を受けるに至る。

「僕にとっては何ひとつとして問題のない条件でした。香港でプレーしてた頃に中国には何度も行ってたので、スケールの大きさを肌で感じていました。香港や東南アジア各国でトライアルを経験していたので、現地の想像もできるし、中国でも順応できると確信してました。実際、すべて予想の範囲内でした(笑)」

余談ではあるが、藤本は人知れず、中東のオマーンでもトライアルに挑戦している。愛車を売却した資金をもとに、滞在していたタイからインド経由でオマーンに飛び、時には砂漠を貫く一本道を歩いて練習会場に向かったという。

「今は笑えますけど、生命の危険を感じましたよ。道行くクルマの人たちが『お前!死んじゃうから乗ってけ!』って乗せてくれるんです。何しろ白昼の砂漠は45℃ありましたから。そんな経験があるので、中国の文化とか習慣とかはまったく問題にはならないんです(笑)」

 

11.fuji

 

10月15日、藤本はスーツケースひとつで、広州白雲国際空港に降り立つ。東京で安定しそうだった正社員生活を、わずか半年で切り上げる決断を下し、指導者として再び海を渡ったのだ。

「東京で安定した(しそうな)生活を始めて、家族も安心していたところで、すぐに中国行きです。さすがに何か言われると思っていました。でも嫁さんは『人生に一度あるかないかのチャンスだから、すぐに中国に行った方が良いよ』って賛成してくれたんです」

2013年の夏、藤本は香港国際空港で筆者に会うなり、こう言っていたことを思い出した。『嫁さんと海外で一緒に暮らすことが僕の夢ですし、彼女への唯一の報いです。必ず契約を勝ち取りますので、よろしくお願いします』。

あれから、4年の歳月が流れていた。

「選手時代は夢が叶いませんでした。でも指導者として中国で頑張れば、嫁さんとの約束を果たせます。広州の空港に着いた途端、懐かしい猛烈な湿気が、僕を歓迎してくれた気がしました。僕のフィールドに戻ってきた、という感覚さえありました」

(後編につづく)

【プロフィール】
藤本雄基(ふじもと・ゆうき)。1986年生まれ。埼玉県出身。大宮東高校卒業後、ドイツの地域リーグクラブでプレー後、2006年にザスパ草津と契約。その後は日本の地域リーグクラブを渡り歩く。2013年にモンテネグロ2部のFKゾラ、2014年に香港1部の元朗FC、ミャンマー1部のマグウェFCなど海外でプレーを続ける。2016年に現役を引退し、東京都内のサッカースクールで指導者の道へ。同年10月から中国に渡り、中国スーパーリーグ広州富力ユースアカデミーコーチ。JFA公認C級コーチ。広東省広州市在住。

【執筆者プロフィール】
池田宣雄(いけだ・のぶお)。1970年生まれ。神奈川県出身。桜美林大学文学部卒業。上海勤務を含む10年間の会社員生活の後、2002年に香港で起業。40歳を過ぎてから執筆活動を開始。香港紫荊會有限公司代表。香港サッカー協会アソシエイトメンバー。香港在住。

TOPページ広告

 

<あわせて読みたい>

海を渡った指導者たち〜第9回・若杉秀俊(広州富力U-12監督)前編

海を渡った指導者たち〜第8回・喜熨斗勝史(広州富力トップチームコーチ)前編

海を渡った指導者たち〜第7回・関瑞貴(AC長野パルセイロ・トップチーム主務)前編

 

◀︎前の記事 トップ ▶︎次の記事