2016.10.04 Tue

Written by EDGE編集部

アジア

海を渡った指導者たち〜第5回・千葉康博(SPORVA副代表)「商社を辞め、上海でサッカースクールを興す」前編

半ば強引に上海に舞い戻った康博。安定した社会人生活を捨てて馳せ参じたスクール活動は、早々に活動資金という大きな壁に直面することに。

「代表も僕も潤沢な貯金があった訳でもなく、資金を提供してくれる人がいた訳でもなかった。両親からも『将智に何を吹き込んだんだ?』と言われ、周りからも『兄弟で?』とよく質問されました。ただ、僕が自分の判断で来たんですから、絶対に役に立ってやろうという思いでした。とにかく生き抜く為に、なりふり構わずの姿勢で、生徒をひとりずつ増やしていきました。節約で一杯のラーメンをふたりで分けたり、肉まんを片手にビラを配っていました。何が何でも役に立ちたかったんです。パートナーとして」

 

yasu.1.4_compressed

 

苦しかったはずの思い出を、いかにも楽しそうに語る康博。

「ビラの配布も数千枚になろうとした頃、僕の誕生日の朝に、初めて問い合わせの電話が掛かってきたんです。それはもう嬉しくて、嬉しくて。信仰は特にないのですが、何かスピリチュアルというか、報われましたね。時には僕らが日本人ということで、心無い差別用語を吐かれたり、思いを込めたチラシを目の前で破り捨てられたりもしました。そういったことがすべて洗われた瞬間でしたね。またそのタイミングで、代表が日本でやっていた活動にも結果が伴い始めて、まさしく会社が産声を上げたのを、この耳で聞いた思いでしたね」

将智の取材時には語られなかった、大手スクールの上海進出事案の前段階の経緯を、康博は解説してくれた。

「当時は『PAZ』という名前で活動していました。ポルトガル語で『平和』という意味です。スタートから1年くらいは、グラウンド代や交通費を捻出するのに精いっぱいで、正式な事業化にもほど遠く、ふたりとも無収入でした。代表と一致していた、指針だの理念だのといったところには、まったく及ばない状況が続きました」

やがて生徒数が50人を超え、日本のスクールの遠征コーディネートなどを通じて、上海で活動する千葉兄弟の存在は、徐々に日本側にも認知されるようになる。そして、日本の大手スクールの中国進出という、吉とも凶とも転ぶ可能性のある事案に、千葉兄弟は直面することになる。

「正直、生きるか死ぬかの重大な決定でした。代表とは意見をぶつけ合いましたし、色んな事態を想定していました。ただ、活動資金や安定収入のメリットと、大手スクールの様々なリソースを活用できることが大きかったですね。僕らは生きると確信しました」

(後編に続く)

【SPORVA × adidas CUP 2016】
YouTube Preview Image
(優酷)
http://v.youku.com/v_show/id_XMTYyNDkzNTQ0MA==.html?from=s1.8-1-1.2&spm=a2h0k.8191407.0.0

【プロフィール】
千葉康博(ちば・やすひろ)。1984年生まれ。川崎市出身。東京農業大学第一高校卒業、明海大学外国語学部中国語学科卒業後に半導体商社に入社し、2008年から香港勤務。東京都審判協会を経て香港審判協会に登録され、香港の下部リーグなどで笛を吹く。2009年から上海に渡り、実兄(千葉将智)と中国人児童向けスクールを立ち上げ、本格的なサッカー指導者の道へ。その後、日本の大手スクールの中国進出事案に関わり入社。2013年に同社からの事業譲渡の提案を受けてSPORVAを設立。世堡体育信息咨詢(上海)有限公司(www.sporva.com)副代表。日本サッカー協会公認2級審判員。上海在住。

【執筆者プロフィール】
池田宣雄(いけだ・のぶお)。1970年生まれ。神奈川県出身。高校卒業まで地元茅ヶ崎でサッカー少年。桜美林大学文学部中国語中国文学科で中国語を専攻。同大学卒業後に入社した大手物流会社で上海勤務。2002年に香港にてビジネスコンサルタントとして独立。2012年からフットボールコーディネーターとして、指導者や選手たちの海外移籍仲介や、サッカー雑誌と専門サイトでの執筆活動を開始。AFCB香港紫荊會(www.afcb.biz)代表。香港サッカー協会アソシエイトメンバー。香港在住。

 

TOPページ広告

 

<あわせて読みたい>

海を渡った指導者たち〜第4回 千葉将智(SPORVA代表)「コーチに求める、指導者、教育者、経営者の顔」後編

 

 

1 2 3

◀︎前の記事 トップ ▶︎次の記事