2016.09.15 Thu

Written by EDGE編集部

アジア

海を渡った指導者たち〜第4回 千葉将智(SPORVA代表)「コーチに求める、指導者、教育者、経営者の顔」後編

近年、アジアを中心に日本人指導者の輸出が始まっています。鹿島学園から大東文化大学を経て、上海市で最大の民間サッカースクールSPORVAを経営する千葉将智さんもそのひとりです。上海でサッカースクールを興して1,200人を越えるスクール生を獲得し、なおも拡大を図るSPORVAがコーチに求めること、あるべき指導者像とは? サッカースクール、クラブ経営に関わる人は必読のインタビューです。 (文・写真 池田宣雄)

(インタビュー前編はこちら)

中国人児童向けの指導に挑戦する決意を固めた千葉は、3歳下の弟を香港から呼び寄せて、スクール開設の準備を始めた。

慣れ親しんだ日本人児童向けのスクールを離れ、一切の当ても頼りもない状態からの挑戦だ。

千葉は当時を懐かしむような表情で、オフィスのデスクでアイスコーヒーを片手に語り始めた。

「正直、厳しいスタートでした(笑)。当時、周りの日本人の皆さんに中国人相手のスクールの話をしても、誰も賛成する人がいませんでした。『中国も学歴社会で、日々の宿題だけでも夜中まで掛かると聞いているし、サッカーのような団体競技はあまり人気がないから、人が集まるわけがないよ』など消極的な意見ばかりでした。

そんな状況でも弟とふたり、飛び込みで中国人のご父兄や子供たちに声を掛けたり、チラシを作って小学校や幼稚園の校門で配りました。サッカーシャツを着た顔のよく似たふたりの日本人が、微妙な中国語でスクール生の募集をしてるんですから、かなり怪しく思われたでしょうね。最初は冷やかし半分で来てくれていたと思いますが、スクールはたったふたりの子供を相手にスタートしました。ただ、それでも本当に嬉しかった」

千葉の上海での地道な活動は海を越えて、日本のスポーツスクールの経営者たちにも徐々に伝わっていたようだ。彼らは、急速な経済成長と桁違いの人口を有する中国市場に注目していたのだろう。

千葉の中国人児童向けの小さなスクールが産声を上げてから程なく、事態は急展開を迎える。

「以前から、日本各地のクラブチームやスクールと交流させて頂くことも多く、日本の子供たちの上海遠征のコーディネートをしたり、日本の現場に見学に行かせてもらったりしていました。ある時、遠征コーディネートを縁にお付き合いしていたスポーツスクールから、中国進出事案が出てきまして、ぜひ一緒にやらないかと声を掛けて頂きました。立ち上げてから1年くらいしか経っていない時期でしたが、スクール生は着実に増えていました。

ですが、資金不足だったこともあってスクール生の伸びはゆっくりとしたペースでした。資金面でのサポートのみならず、その会社の活動には以前から注目していましたし、多くを学べると判断して、話し合いを重ねました。最終的には両者を経営統合する形で、設立する中国現地法人を我々が運営していくことになりました。現法の立ち上げを完了したのは2010年10月。様々なリソースを得て、再スタートを切ることになりました」

 

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日本国内では実に1万人以上の会員を誇り、既に成功を収めている会社ではあるものの、日本国内のノウハウがそのまま通用する中国市場ではない。日本の親会社は、千葉兄弟にどのような方針を与えたのだろうか。

「日本の親会社は非常に若い企業でしたので、企業文化的には風通しが良く、若い社員に思い切って任せるスタイルが浸透していました。僕らが入社して、即座に海外法人を任せてくれる懐の深さというか、大胆さには驚かされました(笑)。現地に関する判断を一任して頂けたので、やりやすかったです。

例えば、社員の採用は完全なローカル市場ですから、日本語人材である必要がありません。必然的に社内の公用語も中国語に統一しましたし、会議も資料もすべて中国語です。本社から出張者が来ても何のことか分からないはずなんですが、それをまた楽しんでしまうような人たちが多かった。今考えても面白い会社でしたね」

親会社から駐在員を送り込むのではなく、現地に精通する人材を活用するスタイルを選択した判断は、一定の成果を上げていくことになる。千葉兄弟を擁したサッカースクールは、その後順調にスクール生を増やして、早期の黒字転換も視野に入れていたようだ。しかし、ここで日本の親会社の経営判断により、中国事業に大きな変化が訪れることになる。

 

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「スクール生も順調に増えて、立ち上げから2年で500人を達成しました。まだ中国事業単体では黒字転換を果たせていませんが、確実に手応えがありましたし、親会社の誰もが上海の数字の伸びの速さに将来性を感じていたと思います。

ですが、ちょうどのその時期に親会社が上場の準備に入ってしまって、それが原因で、中国事業を含む赤字拠点の清算を進めることになったのです。ただ、幸いなことに上海側の元気の良さは伝わっていたようで、親会社から中国事業のMBO(事業譲渡)の提案がありました。

経営統合をした時からずっと、いつかまた自分たちの看板を、もう一度背負いたいと考えていたので、話し合いの席で即決即答しました。この会社からは本当にたくさんのことを学ばせて頂きました」

上海のスクール生500人を抱えるまでに至った千葉兄弟は、中国事業譲渡の提案を快諾してスクール経営を継続することになった。自らの看板で再スタートを切るにあたり、千葉は再び我に返り、スクール経営のあるべき姿を思い起こしていたという。

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コーチには「指導者」「教育者」「経営者」の三役を求める

 

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