2016.07.14 Thu

Written by EDGE編集部

インタビュー&コラム

アマチュアフットボーラーの挑戦・渡邉俊介「日本一を目指す経営者が注ぐ、サッカーとオーガニックコットンへの情熱」

社会に出て、仕事が忙しくなる。家庭を持ち、自分の時間が少なくなる。かつてはサッカーを楽しんでいたのに「最近ぜんぜんやってないなぁ…」という方は多いのではないでしょうか。「いい大人が真剣にサッカーを楽しむ」。これって、結構イイんです。フットボールエッジはいい年をして、真剣にサッカーを楽しむオトナを「アマチュアフットボーラー」と定義しました。今回のゲストは、複数の会社の社長を務めるかたわら、35歳以上のカテゴリーで全国大会出場を決めた渡邉俊介さん(有限会社SDI 代表取締役)です。対談のホストを務める中村篤次郎さんは、かつてツエーゲン金沢のゼネラルマネジャーを務め、FC東京の営業部を経て、現在は保険会社で働くアマチュアフットボーラーです。旧知のふたりの対談をお楽しみください。(構成・鈴木智之/フットボールエッジ編集長)

中村:まずはマスターズ(Over35)の全国大会出場おめでとうございます。

渡邉:ありがとうございます。

中村:渡邉さんはいくつもの会社の社長をしながら、毎週末、地元の三重県に通って試合をして、今年は東海地区の予選を勝ち抜いて、マスターズの全国大会(O-35)に出場することになりました。どのような経緯で、三重県代表として全国大会に出場することになったのですか?

渡邉:僕はもともと三重県の暁高校出身で、高校を卒業した後、ドイツに渡って日本でプロになるために修行していたのですが、あるチャンスが巡ってきて20歳のときに帰国しました。帰国後も色々な方のお世話になり、甲府の練習生として山梨にいましたが、最終契約には至りませんでした。その後、水戸や湘南などのチームのテストも受けましたが引っかからず、プロになるのを諦めて、地元の三重に戻ったんですね。

 

IMG_3119

渡邉俊介。1978年生まれ。三重県出身。暁高校を卒業後、単身ドイツに渡る。プロを目指して20歳の時に帰国し、Jクラブのテストを受けるが合格せず、トップレベルでのプレーを断念。四日市大学サッカー部のコーチを経て、繊維を扱う会社を起業。オーガニックコットンのブランド『VIRI-DARI deserta』を始め、複数の会社の代表を務める。

 

中村:そうだったんですか。

渡邉:三重に帰ったのはいいけど、仕事がない。親父にも「18歳で家を出たと思っているから面倒は見ない」と言われていて、どうしようかと考えていた時に、知り合いのツテで四日市大学のコーチを1年間務めることになりました。

中村:指導者をしていたんですね。

渡邉:そうなんです。その時に、三重教員というクラブが母体の「マインドハウスティーチャーズクラブ」のメンバーとして、社会人の東海リーグでプレーするようになりました。僕はその後、地域リーグでプレーしながら地元の三重県四日市で会社を立ち上げて、週1回日帰りで東京とを行き来する生活が始まりました。実際は2005年ごろまで成年国体チームやマインドで沢山の地元の仲間とプレーし、後に成年国体選抜の監督をしたりもしましたね。その後、仕事がうまく回り始め、上京して東京を拠点に仕事をするようになったんです。すると、2012年に当時のチームメイトがマスターズ(Over35)の全国大会予選に出場したという話を聞いたんですね。でも、予選で負けて全国に行けなかったと。チームのメンバーを聞いたら、普通にやれば全国に出られるでしょうという、それなりの人たちが集まっていたんです。そんな話をしていたら「来年、お前も35歳になるから、チームに入れ」と言われまして。それが2013年なので、いまから3年前ですね。

 

IMG_3106

中村篤次郎(なかむら・あつお) 1970年生まれ。メットライフ生命保険㈱ 。シニアエキスパートコンサルタント。不動産営業を経て、ツエーゲン金沢の立ち上げに携わり、初代GMに就任。その後、FC東京の営業部を経て現職に。会社員のかたわら、毎週末サッカーをプレーするアマチュアフットボーラー。ポジションは主にサイドバックを担当。

 

中村:私も東京在住ですが、石川県で選手登録をして全国大会出場をめざしていました。(参考リンク)。もともとツエーゲン金沢のGMをやっていて、金沢という土地に縁があり、当時知り合った仲間に声をかけてもらって、全国大会に出場することを目標にしていたのですが、土地の縁ってありますよね。

渡邉:そう思います。僕も中村さんの活躍をFacebookなどで見させてもらっていましたが、正直、週末のたびに地方に行くのって大変じゃないですか。

中村:本当にそうです(苦笑)

渡邉:仕事が忙しくて大変なときもあります。正直、新幹線に乗る直前まで「行きたくないぁ、止めようかな」と思うこともあるんですよ(笑)。でも、中村さんのFacebookの投稿を見て「よし、俺もがんばろう」と一歩を踏み出したこともありましたね。

中村:知らないところで、渡邉さんの背中を押していたとは(笑)。体力的にもそうですし、金銭的にも遠方のチームに所属するのは大変ですよね。私の場合、人生で一度も成し得なかった「全国大会出場」という目標があるので、なんとか続けることができましたが、渡邉さんのモチベーションはどこにありますか?

渡邉:人生で一度も日本一になったことがないので、それに向かってチャレンジしたいのと、昔の仲間と苦楽をともにできることの喜びですね。この年齢になって、またあいつらと一緒に真剣勝負ができる。ヘタしたら、みんなで勝って号泣することもある。自分にとっては、この上ない遊びの場所です。

中村:たしかに、大人になって喜びを分かち合って、一緒に泣けることってそうはないですよね。団体スポーツならではというか。

渡邉:だから、身体に鞭打ってがんばっています(笑)

中村:全国大会出場の先輩としてうかがいますが、今年、全国大会に出場できた要因は何だと思いますか?

渡邉:チーム力ですね。それは間違いないと思います。実は、マスターズに参加した1年目で全国大会の決勝に進むことができたんですね。決勝では鹿児島代表に0対4で負けたのですが、翌年は「全国大会の決勝まで行ったので、地域予選は楽勝でしょう」という雰囲気になってしまっていたんです。結果的に地域予選で負けて県大会には出られず、その翌年、つまり去年は地域予選で負けた反省を生かして、もう一度チャレンジしようと思ったのですが、選手間の意識にばらつきがあって、チームがひとつにならなかったんですね。

中村:その様子は手に取るようにわかります。私が金沢で全国大会に向けてチャレンジしていたときも、同じようなことがありましたから。

渡邉:僕は3年間キャプテンを務めていますが、選手それぞれが好き勝手やっていました。チームがひとつにならなかったんです。口には出さなかったですが、その状況に僕は憤っていました。それで今年も同じだったら、もう三重マスターズでプレーするのは辞めようと思いました。そうしたら昨年、甲府時代の仲間である土橋宏由樹(現AC長野パルセイロ アンバサダー)が、長野県代表として全国大会に出て、決勝まで行ったんです。そこでドバ(土橋)から「早く全国に出て来いよ」と言われたのもあって、最後にもう一回、やれることをすべてやって、それでもダメだったら辞めようと思いました。それが2016年、今年の出来事です。

<次ページ>

プロを諦めて、地元で起業。複数の会社を経営する実業家に

 

1 2

◀︎前の記事 トップ ▶︎次の記事