2016.03.10 Thu

Written by EDGE編集部

インタビュー&コラム

野洲高を日本一に導いた『湖国の天才軍師』岩谷篤人さんから学んだ覚悟(2)【久保田コラム】

岩谷篤人氏。滋賀県のセゾンFC総監督として、乾貴士をはじめ数々のプロ選手を輩出し、野洲高校のコーチとして、第84回全国高校サッカー選手権で優勝に導いた、日本サッカー界きっての指導者です。このコラムの書き手、久保田氏がリスペクトしてやまない人物でもあります。前回のコラムでは、岩谷蹴球塾での印象的な言葉を紹介しました。第二弾をご覧ください。(文・久保田大介/SUERTE juniors 横浜)

前回のコラムからの続きになります。

ここからは、私、久保田が印象に残っている、岩谷篤人さんの言葉を紹介したいと思います。

行間や言葉のイメージから、何かを感じ取って頂ければ幸いです。

 

◆まずは子ども達に、自分のことを好きになってもらわな

「自己紹介も名刺もいらない。俺はお前が教えてるチームが見たいんやって。そのチームを見れば、お前が熱いやつなのか口だけのやつなのか、全て分かってしまうんやから」

「選手がミスをした時に指導者がどう声をかけるかは、その指導者の人生が出る。生き方そのもの」

「指導者の人柄が、そのチームの色になる」

「俺に教わるんじゃなくて、それぞれが普段関わっている子ども達から教わってほしい。子どもはええで。こっちが夢を持って接すれば、必ず応えてくれる」

「まず、子ども達に自分のことを好きになってもらわな。僕はあの人が好きや、って子どもに言ってもらえるような。そして俺も、少しでも子どもの良いとこを見つけて、そいつのことを好きになりたい」

「サッカーは少年を大人にする。なぜサッカーなのか。サッカーは本来自由なもの。その自由の中で、子ども達が自分自身で選んでいく。こうしたい、これやりたいということだけでなく、状況に応じて こうしたほうがいい、あぁしたほうがいい という風に子どもが自分で自分に縛りをかけていけるようにする。それが、大人になるということや。

その自由さの中で、大人が先に「あれしちゃダメ、これしちゃダメ」なんて言ってしまうのは、サッカーの自由さを子供から奪ってしまってるのと同じ。サッカーが自由であるということを理解していないのならば、指導者失格やで。

サッカーは自由なもののはずなのに、大人が全部やらせて教えて先走ればその目先の試合は勝てるかもしれないが、その代わり、必ず大切な何かを失うことになる」

「枝を切るなら、その責任を持たなあかん。自分好みの盆栽をつくって満足していないか。あの時あの枝を切らなければ、もっと違った個性的な盆栽ができていたかもしれないのに」

「スペインやオランダの指導者にはできないことを、俺達はしてるんや。日本の子ども達を素敵な魅力ある大人にしていく。人生の勝者にしていく。俺達にはその使命がある。それはサッカーにしか出来ないことや。サッカーには向かない環境下にある日本の子達にサッカーでそれを伝え、幸せにする。そのことに、日本人のサッカーコーチ達はもっと誇りを持つべき。俺達は、プロ中のプロなんやで」

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指導者はチャレンジせなあかん。

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