2015.10.23 Fri

Written by EDGE編集部

アジア

【第29節】香港在住ビジネスマンが始める、サッカー事業の軌跡「滑り込みで実現した、藤本雄基のミャンマー移籍」

近年、アジアでサッカービジネスに関わる日本人が増えてきた。香港在住15年を数える、池田宣雄氏もそのひとりだ。32歳のときに香港で起業し、コーポ レートコンサルタントを営むかたわら、サッカーに関する様々な業務のコーディネーターとしても活動している。金融の街としても知られる香港より、スポーツ ×ビジネスの観点から綴るエッセイ(アーカイブ)をお届けする。(文・写真 池田宣雄)

<初出:2014年7月第4号 ぽけっとページウィークリー>

(編注:内容は全て原稿執筆時点2014年7月のもの)

2014年の1月から5月まで、香港1部リーグの元朗FC(ユンロン)でプレーしていた藤本雄基が、ミャンマーナショナルリーグのマグウェFCに移籍した。

彼の元朗FCへの入団経緯は、当コラムの第24節にて書かせて貰ったが、元朗FCでは様々な要因により十分な出場機会を得るには至らず、5月末日付けで契約満了を迎えていた。

彼自身は、ハーフシーズンという短期契約の中でアピールをして、元朗FCとの契約延長か、香港の他のチームへの移籍を目指していたが、出場機会が少なければ関係者の目に留まる事も少ない訳で、失意の帰国を免れない状況に陥っていた。

いくつかの試合で起用された時の映像を編集して、4分弱のプレー動画をユーチューブに投稿。それを自身のブログとフェイスブックで公表しつつ、英文の履歴書に香港での経歴を加筆して、東欧やアジアのチームに一方的に送り付ける準備をした。

同時に、筆者の交流範囲のプロサッカー関係者にも情報提供を呼び掛けて、彼の次のプレー機会を模索していたところ、ある現役選手からの情報で、バンコクを拠点に活動している代理人の紹介を受けたのだ。

「ミャンマーのあるチームが、攻撃的な中盤のアジア人選手を探している。」

最初の情報はこれだけ。この代理人についてもニックネームしか分からなかったが、このまま日本に帰る前に、動画と履歴書だけは見て貰おうと、指定されたアドレスに送信した。

藤本雄基は、香港の滞留ビザが切れるタイミングで、日本に残していた家族へのお土産と、僅かながらの身の回り品の荷造りを終え、東京への片道航空券を購入して帰国の準備を整えていた。香港でお世話になった方々への挨拶も済ませていた。

藤本雄基の動画を、ミャンマーのチームに見せた代理人から連絡があったのは、東京へのフライトの前日だった。

「ミャンマーのチームに合流して欲しい。航空券代と滞在費はチームが負担する。」

その翌日にチームからの招待状と航空券がメール添付で届き、そのまま荷造りしていたスーツケースを持たせて、香港国際空港に送り出した。

経由地のクアラルンプールで一晩を明かして、翌朝ヤンゴンに到着したのだが、チームが用意した書類に不備があり入国出来ず、やむなくクアラルンプールに戻って正式な滞留ビザを取得。ヤンゴンで再入国するまでに更に2日を要したりはしたが。

何とかチームに合流した彼を待ち構えていたのはトライアルだった。ミャンマーの移籍市場が閉まる直前という事もあり、そのトライアルには別の代理人経由で日本人選手も参加していた。その選手の名前を聞いて驚いたのは筆者だった。面識があり応援している選手だったからだ。

その後、数日間のトライアルを経て、藤本雄基はマグウェFCと契約を結んだ。ミャンマーのリーグ戦が終了する9月末日までの短期契約ではあるが、香港の時よりはるかに良い条件をチームは与えてくれた。

ミャンマーではアジア人選手の出場枠がきちんと設けられているので、この枠で登録された彼は、試合への出場がほぼ確約されていると言って良い。既にリーグ戦とカップ戦に出場しており、彼自身も手応えを掴み始めている。

彼は香港ではやや息苦しい思いをしていたが、移籍を果たしたミャンマーでは存分にチームに貢献して、また対外的なアピールの機会にも恵まれると思う。彼に付いてくれた代理人も、次の新天地への導きまで画策してくれている。

因みに筆者は、彼の香港での活動全般の面倒はみていたが、いわゆる代理人ではない事をこの場で記させて頂く。筆者が彼に要求しているのは金銭ではなく、プロサッカー選手としてのピッチでの勇姿を拝ませて貰う事だけだ。

藤本雄基は僅か半年で香港を去ったが、彼のプロサッカー選手としてのキャリアはアジアで続いて行く。香港では公式戦1ゴールという結果しか残せなかった事を材料に、アジア各国で発奮し続けてくれる事を願っている。

ぽけっとページウィークリー

2014年7月第4号掲載コラム加筆修正

<プロフィール>
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池田宣雄(いけだ・のぶお)
AFCB香港紫荊會(www.afcb.biz)代表。大学卒業後、物流大手営業職等を経て、32歳の時に香港で起業。コーポレートコンサルタントのかたわら、フットボールコーディネーターとして香港で活動している。香港サッカー協会会員。1970年生まれの45歳。

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