2015.10.19 Mon

Written by EDGE編集部

アジア

「カバンひとつで、どこへでも行く準備はできている」三浦泰年監督インタビュー 後編

ギラヴァンツ北九州の監督時代は、前年最下位のチームを8位に導き、J2リーグに旋風を巻き起こした三浦泰年氏。今季より活躍の場をタイに移し、チェンマイFCを経て、ディビジョン2(3部)のタウィーワッタナーFCで指導に当たっていた。「選手以上に難しい」と言われている指導者の海外移籍、海外での指導の中で、長髪の指揮官は何を思うのか。タイの地で行った独占インタビュー後編をお届けします。(文・写真 本多辰成)

(前編はこちら)

――チャンマイFC退任時に、クラブからは「話し合いの結果、退任することになった」との発表がありました。どういった経緯があったのでしょうか。

三浦:正直なところチェンマイFCでの仕事は、本当の意味での「監督」とは言えないものでした。選手の起用などに関して、全権を持っている状況ではなかったからです。自分が持つ指導哲学のもとで、選手を使う、使わないということができなかった。僕の考えでは、それは監督ではありません。たとえば、ある選手をめちゃくちゃに怒る。怒った上で使う、あるいは怒った上で使わない。ほかにも、コンディションが整っていないから使わない、それでもあえて使う。そういった全ての判断を任されなければ、自分の指導に対する責任が取れませんし、選手たちがかわいそうです。

――タイリーグでは、チームによってはオーナー等の現場介入が珍しくないと言われます。そういった点は、就任後すぐに感じましたか?

三浦:一ヶ月もかからず、すぐに感じました。とはいえ、タイの文化や習慣、人間性や性格などを、まずは受け入れようという気持ちが強かったので、最初の10試合くらいは何があっても静かにしていました。結局、最後まで喧嘩をすることはありませんでしたから。マネージメントの部分に関しては、今の段階で無理にどうにかしようとしても仕方ないと感じていました。ただ、選手と接していく中で、難しい状況がいつかは来るだろうというのは、かなり早い段階から察知していました。それで、何度かコーチとも話し合って「前期が終わったところで、退くのがいいタイミングだろう」と話をしたこともありました。

――チェンマイFCは、日本人監督が率いるチームとしては珍しく、日本人選手が不在でした。これも監督の意見が反映されなかった結果でしょうか?

三浦:日本人選手がいれば、全然違うだろうとは思っていました。ただ、これは別の問題もあって、僕が評価しても他の人間が評価しないということがあったんです。これも、タイのサッカーがまだ未熟なところなのだと思いますが、彼らは「オフの動き」が分かっていない。日本人選手がボールを持っていない時に何をしているかを、見ることができていないんです。正直、「分かっていないんだな」と。たとえば、昨年BECテロサーサナで大活躍して、今季はディビジョン1で首位を独走するポリス・ユナイテッドでプレーする下地奨選手。彼のようないい選手でも、実績のない段階では、チェンマイFCは能力を見定められないと思います。

<次ページ>タイで感じる「あの頃のJリーグの外国人たちは、こんなふうに感じていたのかな」という想い

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