2015.09.19 Sat

Written by EDGE編集部

アジア

【第24節】香港在住ビジネスマンが始める、サッカー事業の軌跡「藤本雄基選手の香港挑戦をサポート」

近年、アジアでサッカービジネスに関わる日本人が増えてきた。香港在住15年を数える、池田宣雄氏もそのひとりだ。32歳のときに香港で起業し、コーポレートコンサルタントを営むかたわら、サッカーに関する様々な業務のコーディネーターとしても活動している。金融の街としても知られる香港より、スポーツ×ビジネスの観点から綴るエッセイ(アーカイブ)をお届けする。(文・写真 池田宣雄)

<初出:2014年2月第4号 ぽけっとページウィークリー>

(編注:内容は全て原稿執筆時点2014年2月のもの)

藤本雄基という日本人サッカー選手が、香港1部リーグでプレーしている。

彼の所属チームは元朗足球會(ユンロン)。かつてはリーグタイトルを獲得する程の有力チームだったが、長らく下部リーグに低迷。昨シーズンの2部リーグを制して、今シーズンから1部リーグに昇格した小さなチームだ。

筆者が藤本雄基を知ったのは、2013年の3月頃で、1通のメールから彼への移籍サポートが始まった。「香港リーグについて教えてください。プレーするチャンスがあれば挑戦したいです。」と。

名前を聞いた事もない日本の選手からのメールに、若干の戸惑いを覚えながらも、筆者の元に問い合わせてきたのも何かの縁だと思い、2013年夏のプレシーズンの練習参加をアレンジする事にした。

2013年の夏、2週間の予定で香港入りした彼の練習参加先は、当初は別のチームであったが、妻帯者である彼の希望条件をチームに通す事が叶わず破談となり、急遽、滞在期間を延ばして練習参加を打診したのが、この元朗足球會だった。

半ば強引とも言える形での練習参加を経て、何とか契約の交渉段階までは進めたものの、リーグの移籍期限内での選手登録には間に合わないと判断され、当時はやむなく、彼を日本に帰国させざるを得なかった。

香港リーグは、チームと選手が契約して、先ずは選手の労働ビザが発給されない限り、香港サッカー協会への選手登録ができない。藤本雄基の場合は、日本国内と海外でのプロ選手経歴がなく、労働ビザの発給に時間を要する事が予想され、移籍期限との兼ね合いで契約を見送る事になったのだ。

但し、チームとのお話がまとまらなかった時点で、本人も筆者も一旦は諦めたのだが、現場の指導陣や所属する選手たちからの評価は高く、2014年冬の移籍市場が開く際の、チームの状況次第では、声が掛かる含みを残していた。

香港1部リーグに昇格したばかりのチームの戦績は、予想どおりの低迷で、移籍市場が開く直前の2013年末、ついに正式オファーが舞い込んできた。万全の条件提示ではなかったが、彼は迷いなく再び香港の地に舞い戻ってきた。

労働ビザを取得した藤本雄基の香港デビュー戦は、2013年夏のプレシーズンの練習試合で対戦した横浜FC香港戦だった。多くの香港在留邦人が観戦するなか、横浜FC香港の対戦相手側の選手として先発出場を果たした。またリーグ戦初ゴールを決めた相手は、2013年夏に最初に練習参加していた日之泉JC晨曦(サンヘイ)戦となった。

元朗足球會と藤本雄基の契約は、2013-14シーズンが終了する2014年5月末日まで。残りの試合日程は僅か10試合余りしかない上に、彼はチーム内の外国人選手の出場枠(7人登録5人出場)も競わなければならない。

彼の置かれた立場は厳しいが、相当の覚悟を決めて香港に舞い戻った彼は、必ずや結果で応えてくれるはずだ。香港1部リーグを戦う元朗足球會の背番号24に、是非注目して頂きたい。

藤本雄基略歴 : 木崎サッカー少年団〜武南ジュニアユース〜大宮東高校〜1FCライムスバッハ(ドイツ)〜ザスパ草津〜福島ユナイテッド〜バンディオンセ加古川〜パイオニア川越〜元朗足球會(香港)

(編注:内容は原稿執筆時点2014年2月のもの)

ぽけっとページウィークリー

2014年2月第4号掲載コラム加筆修正

<プロフィール>
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池田宣雄(いけだ・のぶお)
AFCB香港紫荊會(www.afcb.biz)代表。大学卒業後、物流大手営業職等を経て、32歳の時に香港で起業。コーポレートコンサルタントのかたわら、フットボールコーディネーターとして香港で活動している。香港サッカー協会会員。1970年生まれの45歳。

 

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