2015.05.19 Tue

Written by EDGE編集部

インタビュー&コラム

幸野健一のエッジな人 第4回「66歳、いまなお現役。滝川第二、ヴィッセル神戸を経て台湾へ」黒田和生(前編)

サッカーと共に生きる人を紹介する『エッジな人』。サッカーコンサルタントであり、アーセナルサッカースクール市川代表の幸野健一さんが聞き手を務めるこの連載。今回のゲストは黒田和生さんです。黒田さんは監督として、滝川第二を全国屈指の強豪にするとともに、岡崎慎司を始め、多くのプロ選手を輩出した名伯楽です。滝川第二を勇退後、2012年に5年間所属したヴィッセル神戸を離れ、台湾へ渡りました。現在はチャイニーズタイペイ協会で育成年代の指導、組織づくりを行っています。66歳を迎えてもなお現場に立ち、サッカーの発展と強化に力を注ぐ、黒田さんとの対談をお届けします。

幸野:お元気そうでなによりです。台湾に来られて、何年になりますか?

黒田:今年で4年目になりますねぇ。

幸野:黒田さんといえば、兵庫県の滝川第二高校で長く監督をされて、その後はヴィッセル神戸のアカデミーに移られましたよね。僕の知る限り、長く高体連の監督をした後に、Jクラブのアカデミーに移った人はほとんどいません。

黒田:僕は滝川第二で監督をする前、大学を出てすぐに神戸FCで13年間、サッカーの勉強をしました。賀川浩さんや大谷四郎さんといった神戸一中の方々に教わり、神戸に対する愛着が強くなったんです。僕の郷里は岡山なので、岡山で高校の教員になろうと思っていたのですが、神戸への愛着が湧いてきて、神戸のためになにかしたかった。それで、ヴィッセル神戸に声をかけてもらったので行くことにしたんです。

幸野:何十年も高校サッカーで指導をされて、Jの現場に入ったときに何を感じましたか?

黒田:外から見ていたJの育成の印象、そのままでしたね。いろんな面で緩んでいる、甘い。素材はいいけど、うまく伸ばしきれていないという。

幸野:ヴィッセル神戸では、そこに対してどのようなアプローチをしたのですか?

黒田:1年目は、各カテゴリーのコーチの質を上げることから始めました。2年目にU-18の監督になったので、自分で選手を変えていこうと考えました。

幸野:選手に変化は現れましたか?

黒田:現れたと思います。まずは試合の準備と試合中のメンタリティ。最後まで諦めないこと。相手をリスペクトすること。チームメイトへの気の配り方は、変化していきましたね。

幸野:神戸では何年、指導をされたのですか?

黒田:5年やりました。

幸野:神戸との契約が終わるタイミングで、黒田さんから『海外に行きたい。どこかいい場所はあるか』と相談されて、いくつかお答えしたことがありましたよね。海外に行きたい気持ちは、以前からお持ちだったのですか?

黒田:ありましたね。我々はクラマー世代なので、クラマーさんに対する憧れのようなものは、頭の片隅にね(笑)

幸野:クラマーさんがやったように、サッカーが普及していない国に行って、自分の知識と経験を伝授したいと思ったわけですね。

黒田:そうなんです。学生の頃に見たクラマーさんの姿を、カッコイイなと思って。

幸野:ついに、そのときが来たと?

黒田:そうですね、それは感じました。ただ、ヴィッセルが嫌で辞めたのではなくて、会社の方針が変わったんですね。私を誘ってくれた足立(貞至)さんは『アカデミーを建て直すんだ』と熱意を持っていたのですが、社長が変わってトーンダウンしてしまったんです。足立さんも前の神戸の時代から、ヴィッセルへの愛がありましたよね。

幸野:神戸を離れるときに、海外に行こうと決断をしていたのですか?

黒田:そうですね。最終的に台湾に決めたのは、学生の時に一度、遠征に行った経験が大きかったのと、U-18の代表監督をやれることです。

<次ページ>これまでは、学校や先生の力関係で代表選手が決まっていた

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