2015.05.09 Sat

Written by EDGE編集部

アジア

『タイリーグで味わった、天国から地獄』ノグチピント・エリキソンインタビュー(前編)

写真:AYUTTHAYA FC

日本人GKの先駆けとして、2010年にタイに渡った、ノグチピント・エリキソン。初年度から好待遇の契約を得るも、2年目はチームの社長に裏切られたことで、練習と試合をボイコット。さらには移籍もできず、給料も半分しか支払われないなど散々な目に。最終的にはタイサッカー協会が介入する事態になった。しかし、そんな逆境を乗り越えて2部リーグの最優秀GKに輝くとともに、チームの1部昇格に貢献。一筋縄ではいかない経験を糧に、タイでゴールを守り続けるノグチピント選手。インタビュー前編をお届けします。(文・本多辰成)

――ピント選手がタイに来た2010年は、今のように多くの日本人選手がプレーしてはいませんでした。どういうきっかけでタイリーグに移籍したのですか?

ピント:きっかけは、帝京高校の先輩でもある丸山良明さん(現・セレッソ大阪U18コーチ)でした。当時、地域リーグだった長野パルセイロでプレーしていて、次の年の進路を考えている時に、タイでプレーしていた丸山さんに相談したんです。長野とも契約更新の方向で進んでいたのですが、最終的に契約できず。それで、海外に出るしかない状況でタイに来ました。

――タイでの1年目は、タイ・プレミアリーグ(1部リーグ)のサムットソンクラームFCでのプレーでした。

ピント:1年目はよかったですね。タイに来てから今までで、一番いいシーズンだったかもしれません。環境はいいとは言えませんでしたけど、町全体で支えているチームで、全員で力を合わせてやっていくという雰囲気がありました。金銭的にも月9万バーツ(現在のレートで約33万円)という待遇で、長野時代よりもよかったですから。

――待遇面でも急成長しているタイリーグですが、2010年頃だと日本人選手でも月3、4万バーツだったという話を聞きます。9万バーツというのは、当時としては好待遇ですよね?

ピント:そうですね。いきなりその待遇だったので、周りの日本人選手もびっくりしていました。本当か嘘かはわかりませんが、チームの中でもトップだと聞いていました。

ピント2

――では、タイに来てよかった、という感じですね?

ピント:1年目はそう感じていました。長野では、仕事をしながらプレーしていましたからね。サムットソンクラームでは、チームメイトやサポーターからも好かれていると感じていましたし、日本から家族が来る時の費用も全部チームが負担してくれて、待遇も最高でした。ただ、2年目からは本当にいろいろあったんですよ。

――2年目も同じチームでのプレーでしたよね?

ピント:2年目はいくつかのチームから話があったのですが、1年目に良くしてくれたチームだったので残留しました。ただ、2年目の契約でいろいろあって、天国から地獄という感じでしたね。

――何があったのですか?

ピント:金銭面の交渉で、1年目よりは上がったのですが、最初の話からするとかなり落ちた額での契約になったんです。でも社長は「金額は安くなってしまったけど、家族のケアはする」と言うんです。家賃や航空券はもちろん、子ども二人のインターナショナルスクールの学費も出してくれると。すべてを合わせるとかなりの額になるのでOKしたのですが、それを契約書には記さないと言うんです。書いてほしいと頼んだのですが「去年、チームがピントにしてきたことを忘れたの?」と言われて。確かに1年目は本当に良くしてくれたので、信じてしまったんです。

――ということは、約束は守られなかったのですね?

ピント:はい。当時は日本で震災のあった年で、家族は茨城にいました。それでタイに連れて来ようと思い、社長に航空券を買ってもらいたいと言ったら「そんなことは言っていない。契約書に書いてあるのか?」と。やられた、と思いましたね。日本は大変なことになっているし、それを家族に伝えるのも嫌だし、もうこんなチームにはいたくないという気持ちになってしまって。そこから、納得がいっていないことをわかってもらいたくて、練習3日間と1試合をボイコットしたんです。

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